ハウルの動く城


気になったことを、つらつらと・・・・



前半のハウルの衣装について

前半のハウルの衣装は、かなーりちゃらちゃらしています。

あの時代にはありえないちゃらちゃらさ。

後半黒い髪になってからは白いブラウスにズボンだけど、白いブラウスの構造がよくわからない。

シンプルそうなのになぜか妙にボリュームがあるのもよくわからない。

そのままだとハウルは細そうだから、絵にならないと言うのもわかるのですが。。








ハウルの変身について


ハウルはいい。かっこいい。今まであんな長身キャラが出てきたこと自体初めてですよね。

今まではほぼ同じ背丈(まあ少年が多かったから?)の男の子が多かった。

しかし・・・

夜中に鳥の姿になってばっさばっさと飛び回るハウルですが、この鳥の姿だけはお世辞にもイケているとは言えません。

デビルマンぽい。表情も邪悪そのものです。

効果音としては「キシャーー」とかそんな感じ。

なんか顔が大きいし。先日の「ヨンさま」騒動で、ヨンさまの彫刻が韓国に立てられて「顔が大きすぎる」などの理由で撤去されたことを思い出しました。

やっぱり、顔が大きいのは美青年にとって致命的なのですよね。

宮崎駿の中では、魔性の生き物は鳥に変化して空を飛び回る事が多いですよね。先と千尋の神隠しの湯婆婆もそうだったし。あれは本体でなく、刺客?スパイ?でしたが。。

千と千尋でもそうだったしな。スパイ的役割のときに飛び回ることが多いようです。




ハウルの女ぐせについて


そういえば、ハウルが女の子たちの心臓を食べたと言うのは何にも説明等されてないけれどいいのだろうか。

まあ、ハウルがかっこいいから女の子たちを夢中にさせたと言うメタファーなのかもしれないけど。。。

本当にその男でいいのか、ソフィー-??

原作では、ソフィーとの出会いもナンパだし。イタリア男なのですが。私の中のイメージでは。

映画ではナンパから助け出すと言う設定になっているようです。


ソフィーについて


ソフィー・ハッターは18歳です。

思ったのだけど、18歳と言う設定はやはり自分で責任を取れる少女と
してのぎりぎりの年齢ということでしょうか。

大人になりかけだけど、まだ少女の年齢というか。
児童福祉法だと満18歳に達するまでのものが、保護される対象にはいるみたい。

ちょうどソフィーは保護を抜けたところ、ですね。




ソフィーの眉毛

前編を通して気になったのが、ソフィーの眉毛。違和感ありすぎです。
と言うか、太いのは別にいいのだけど、周りを縁取りしてあるのがなんだかなー
と言っても、ほかのキャラも縁取りしてあるけど。

たぶん意志の強さをあらわすために眉毛を太めにしたのだと思いますが、なんだかなーという印象が最後まで抜けませんでした。

茶色い髪のときも、銀髪になったときもなんだかなーなんだかなーラブシーンでもなんでも、なんだかなーと思い続けていました。

せっかくかわいいのに・・・

でも絵柄が全体的に少女漫画チックと言うか洗礼されてきたと言えばいいのか、とにかく前のジブリ作品と違ってきた感じがします。

髪の毛を食べられてからはすごくかわいいです。ぜひあのままでいてほしい。

原作の絵コンテには「ヒロインようやく登場」の書き込みがあったそうです。なるほど、そうだったのか・・・



ソフィーについて

ソフィーがお店で鏡に向かってあれこれとポーズを取るシーンはかわいい。なにごとかと思いました。

ああいうこと、女の子はよくやるよね。そのあとぶすっとするのもかわいい。

でも、ソフィー荒野の魔女に魔法をかけられて、鏡で自分の姿を見て、仰天するシーンはもっと仰天しろよ!と思いました。私だったら泡を吹いて失神するね・・・・

だって18歳のピチピチギャル(死語)が、いきなり90歳の老婆だよ。

そもそも生きている人のほうが少ない年齢層に突然突入・・・・

それでも冷静なソフィー、あなたすごいです。





問題の、階段のぼりのシーンについて



荒野の魔女のデブっぷり、二重あごっぷりは女性にとってはかなり身につまされるものだともいます。

ああならないようにしなきゃ・・・としみじみ思ったもの。
人間、極限まで太ると・・・・顔につくには限界があるから、あごに来るんですよね。

あの色が妙に白いところも怖い。そう、きれいで肉が柔らかい人が太るとああなります。

せっかく普段はきっちりお化粧して怪しい雰囲気をかもし出しているのに階段のシーンは圧巻でした。

ああなっちゃ、だいなしです。太っている人は、汗を描きやすい場面には注意しなくちゃいけないと思いました。

荒野の魔女が城に呼ばれて、階段を上るシーンがすごい見ててつらいです。
あれは宮崎駿が、ぜひともあのシーンを描きたいと思い入れのあるシーンなんだそうです。

どうしてそんな思い入れを・・・?

そう、太っている人って階段がつらいんだよね・・・。

宮崎駿は絶対に常に人間観察をしていると思います。人間ウオッチャー。
でないとああいうシーン描けないと思うので。

汗が噴出してくるあたりも、ものすごくリアル。

ちゃんと見てるからああいう描写が出来るんだと思います。





改心後(?)の荒野の魔女について


荒野の魔女はさんざん苦労して城にたどり着いて、でもへんなじりじりした光を当てられてただのおばあさんになってしまいかわいそうです。

せっかくあーんなに苦労をして階段を上ったのに・・・・

そしてただのおばあさんになったとたんに善人になっているのもおもしろい、というかおいおい、って感じです。

でも、後半のカルシファーの心臓?核を取るシーンの依怙地さは、ああ老人ってそういうところがあるなーと思いました。

個人的にはかなりむかついたシーンだったのですが、ああやって自分も悪いってどこかでわかっているのに、やめられないことってあるよなって。


やっぱり悪いと思ったときには、悪いと認められるようにならないと、とは思うけどなかなかできないときってありますよね。

老醜、と言うことを考えさせられたシーンでした。(おおげさ?)


マルクル


最初は敬語だったマルクルが、だんだんソフィーに慣れてきて親しい口調になっていくところが面白いです。

大人じゃこうは、なかなか行かない。

やっぱりちっちゃい子のほうが順応が早いんだなと思います。

マルクルを世話するときのソフィーは中年(おかあさん)の顔になっているのがまた泣かせます。

アニメって、けっこうこういうふうに若い男女と子供の組み合わせが多いけど、やはり擬似家族を演出しているのでしょうか。不思議の海のナディアもそうだったしね。

マルクルはたぶん7〜10歳ぐらいなのに、魔法使いになろうと決めてハウルに弟子入りしたのだろうか。

だとしたらすごい。ちゃんということを聞いているのも弟子制度を理解している感じです。

昔は師弟制度が盛んだったから、その名残かしら。(勝手な推測)





ハウルの動く城について



最初映画の題名を聞いたとき、ぱっとしない題名だなーと思いました。
ハウルはともかく、なんで城が並列でタイトルになっているのかな-と。
そしたら・・・後半は城が大活躍ですね。

あの城はいろんな部品の寄せ集めで、それを統制・動作させていたのはひとえにカルシファーの力によるものです。

カルシファー、けっこうすごいぜ。でも何もあんなに寄せ集めなくてもよかったのでは。

途中で壊れて、顔の部分だけと言うか本体だけになるのですが、これは「ソフィーの城」と言うらしいです。

解説書にそう書いてた。ハウルの城と、ソフィーの城。
エンディングではなんと羽が生えて、空を飛べるようになっています。

庭もついて、デラックスに変身。

カルシファー、すごい。でも寄せ集めなのは、変わらないのね。どうせならもっとよい素材を使えばよいのに・・・





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